書けない人がわるいのか
そうではありません。
書けないのは、書き方を知らないからです。
それは、あなたのせいではありません。
そもそも、はじめから書けるわけなどないのです。
では、どうして、書ける人は、書けるようになったのでしょうか?
それは、教わったからです。
何をかって?
むろん、“答案の書き方を”です。
“そんなものを教わる必要があるのか”と思うかも知れません。
“書けない、書けないと言うけど、そのくらいは(記述式問題の答えくらいは)書けますよ”という人もいるでしょう。
それは当然です。
皆さんはエンジニアですから、工学的な設問への対応を得意としています。
そうでなくても、試験の場では、書ける、書けないとは関係なく、書くしかないのですから、だれであれ、書き上げるところまでは行くのです。
問題は、そのようにして書き上げたものが、出題者側の要求に適うものであるか、ということです。
“ちょっと待ってください。出題者側の要求って、 何のことですか”と思った方はいませんか?
記述系の試験における彼我、すなわち出題者(採点者はその代理人です)と受験者の関係は、フレンチレストランのディナー客とオーナーシェフのようなものです。
“ええっつ!!!”と思った方はいませんか。
そうなのです。
お金を払って試験を受ける皆さんの方が、サービスを提供する側なのです(お客さんではありません)。
出題者の注文に応える(“では食べてみようか”と思う料理を出す)ことが求められているわけです。
立場を変えて考えてみましょう。
皆さんは、ディナー客として、予約をしてこの店にやって来ました。
ワインや肉料理の好みも伝えてあります。
並べられた食器、給仕の接客、皿の上の料理の様子が想像したものと違っていたら、どう感じるでしょうか?
程度にもよりますが、“下げてもらおう”と思うことだってあるかも知れません。
いずれにしても、低評価となることは必至です。
なので、受験者は、調度、体裁、テーブルサービス、具体的な注文(好みのアレンジなど)にまで気を配った上で、その料理を提供する必要があるのです。
ここでは、その方法のことを“答案の書き方”と言っています。
ここまで読んだ方はわかると思いますが、その作法は、それなりに体系的なものですから、人に訊かずに、つまり指導を受けずに、自分一人でやってのけるのは難しいものです。
要するに、教わる必要があるのです(というか、教わればよいことなのです)。
本来は、学校教育で扱うべきことですが、かといって、皆に必須のリテラシーかというと、そうとまでは言えないため、“必要な人が必要なときに学ぶべきもの”と考えるのが適当です(料理の道にも学校があります)。
“出題者側の要求”と聞いて何のことやらと思った方は、答案の書き方を学んだほうがよい人です。
“必要なとき”というのは、多くの場合、このような記述系の試験を受ける機会に、ということです。
つぎは、“だれから教わるのか”ですが、近しい人のなかで、信頼関係のでき上がっている人が望ましいと言えます。
通常の場合、日々顔をあわせている上司、ということになるでしょう(もちろん、その資格(ここでは診断士)を得ていることが条件です)。
一旦まとめると、答案の書き方というのは、必要が生じたとき、適当な人から教わるのがよいものです。
しかし、です。
残念なことに、だれもが、そうした環境にいるとは限りません(そのような上司をお持ちの方は、自身の幸運に感謝すべきです)。
“適当な指導者が見当たらない”という人も、なかにはいるのですから…。
本講座は、そのような方のためにあるものです。
上で述べた答案の書き方は、自分で考えて習得するようなものではなく、教わった方が早いものでもあるからです。
書けない人がわるいのではありません。
書けないのは(評価に値しないものとなってしまうのは)、書き方を知らない(相手と自分の関係を理解していない)からです。
エンジニアである皆さんは、答えをもっています。
その提供の仕方(サービスの方法)を理解しておけばよい、ということです。